1985-11-26 第103回国会 参議院 商工委員会 第3号
先ほどこれ以上の追加投資は今考えていないということでありましたが、例えていうと、特別建設国債——まあ、そんなことは簡単に法律でできぬと言われりゃそれまでですが、いわば円高差益によって生じたものを、自民党首脳は、その利益を吸い上げて、これを中小企業の緊急対策云々というふうな発言もあるようでありますが、これもまたそれきりで、なくなると思うんですね。
先ほどこれ以上の追加投資は今考えていないということでありましたが、例えていうと、特別建設国債——まあ、そんなことは簡単に法律でできぬと言われりゃそれまでですが、いわば円高差益によって生じたものを、自民党首脳は、その利益を吸い上げて、これを中小企業の緊急対策云々というふうな発言もあるようでありますが、これもまたそれきりで、なくなると思うんですね。
し上げましたように、流動人口の状況と市町村の財政力を基準にしまして政令で定めると、こういうかっこうになっておりますが、先ほどもお答え申し上げましたように、一号から九号までの町は、まあ国際観光都市ということで相当限定的に書いてあるものですから、そういう意味合いからいいますと、政令で追加して指定できるものにもおのずから限界があろうかというふうに考えておりますが、いま御指摘がございましたこういう各種の特別建設法
五つ目が旧満州農産物検査所、六つ目が旧満州国法人開拓保健団、それから七つ目が旧満州林産公社、八つ目が旧満州特別建設団、九つ目が旧日本居留民団、十番目が旧満州畜産公社、十一番目が旧満州厚生会、とりあえずこれだけあるのですが、このほかに石油、炭鉱、綿花関係というのがあるというお話を聞いておるのですが、もしこれ以外にあったら、この際おわかりのところだけ教えておいていただきたい。
自来、内務技師、戦災復興院特別建設局土木工事課長、建設省総務局企画課長、建設省近畿地方建設局長、経済安定本部建設交通局長等を歴任され、昭和二十八年経済審議庁審議官を退官されるまで、実に三十年に近い年月を、国土の保全と開発に挺身されて、大きな功績を残されたのであります。
それから第二点の、旧軍港市転換法でございますが、これは、他に十六都市ばかりの特別建設法がございますが、この旧軍港市は、旧軍港の四港が中心になりまして、議員立法でできました法律で、審議会も設けられておるという特別のものでございます。 〔主査退席、登坂主査代理着席〕 なお、この条項による国会報告は、旧軍港市振興協議会事務局のほうから毎年出しているようでございます。
そこで、広島と長崎の特別建設法は、たとえば広島の建設法も長崎も同じようなんですが、「恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。」、長崎のほうは「国際文化都市として建設することを目的とする。」、こういうふうになっております。
最初の放射四号線について一言だけ申し上げますと、いわゆる放射四号線とはどこからどこまでの路線を言うかということを区間として掲げ、さらに延長、幅員、総事業費、今年度の予算額、今年の十一月十五日までの契約額、契約率、執行率とそれぞれ具体的に掲げまして、右から二行目の事業所の一特、二特、三建というふうに掲げておりますが、この一特と申しますのは第一特別建設事務所の所管、こういう意味であります。
なお出先機関といたしましても、従来特別建設事務所が三カ所ございましたが、さらに一カ所増設いたしまして、関係の人員を充実いたしますとともに、事業の完全遂行をはかりたい、こういう工合の方途を講じて参ろうといたしております。以上が都の都市交通対策に対する考え方及び今回とりました方策でございます。
別勘定というのは、特別建設のための勘定を他の勘定と離しておくことであり、将来それだけが国会その他で、新幹線に対して千七百二十五億をかけ、さらに建設利子をかけたが、それ自体としてはどうだというような御質問があった場合に、私どもとしてお答えできるだけの筋を用意するという意味でございまして、運営としては国鉄一体でございます。
そのほか営繕局に営繕関係の特別建設部という、これは官庁営繕の事業の拡大に伴って、こういう新しい部を設けて、特別な設計なり、あるいは特殊建築物の監督事務をつかさどらせたいというふうに考えております。
特別調達庁が二十二年九月から業務を開始いたす前は、これは外務省の外局ですか、終戦連絡事務局……、それから工事につきましては戦災復興院の特別建設局等でやっておりましたのが、占領軍側が日本側の間接調達機関がきわめて多元的である、それを一元化したいという要望のもとに、特別調達庁がまず公法人として発足したわけでございます。
その技術面の検討のために、施設委員会では付属機関として特別建設部会とか、あるいは道路の建設問題であれば、道路橋梁部会、まあこういうような部会を設けてテクニカルな面をなお詳細に検討して委員会に報告する。まあこういう仕組みになっておるわけであります。
そこを小倉キャンプ第三工作隊というのですが、キャンプにしたい、あるいはその近くに射撃場ができたようですが、射撃場にしたい、そういうことで、陳情書によりますと、小倉の特別建設事務所と交渉したと書いてございますが、かえ地をあっせんする、家屋は移転してやる、あるいは損害は完全に補償をする、こういう条件で応ずることにしたが、実際に建てた家は初めから傾いておる、あるいは家具もない、こういうことで移り住むことができない
次に岡信挾助君は、昭和三年に東京帝国大学を御卒業されまして、その後朝鮮総督府に勤務を続けられ、昭和二十一年に宮城県の臨時特別建設本部次長に就任されまして、同二十二年に宮城県の出納長に就任され、爾来出納長を勤めて今日に至つている、これ又現職のかたでありまして、決算委員会の専門員として最も適当であるというので、決算委員長から御推薦があつたわけであります。
戰災復興院は、大橋武夫君が同院特別建設局長在職中の昭和二十一年十二月九日に、足利板金工業組合に対して二十五万フイートを発注したが、受注者たる足利板金工業は、かかる大量の物件を短期間内に生産するには、その企業形態、資力から見て不適当であります。即ち社長である田中君がみずから二重煙突を作るような手工業的企業であります。
すなわち予算要求の当時は十六万戸で計画したわけでございますが、公営住宅につきましては公共団体の財政面、特に起債の問題などで、大都市が特別建設費で窮地に立つておりましたので、公営住宅につきましてはこの点に特に重点を置いてやつて行く。すなわち公営住宅は即時償還できるわけでございまするから、百パーセント起債のわくを認めてもらうように現在努力しているわけでございます。
○高良とみ君 少しくあとへ戻りますが、只今までの長官の御説明によりまして、現在接収されている校舎等、並びに病院等の公共物はできるだけ解除するために、特別建設班その他で特調で御尽力中であるということを我々は了承いたしました。更にそれらの公共設備の環境を危険或いは非教育的、福祉的でないものから取除くためにも、その面でも御尽力になるということも非常に必要なことであり、我々はそれを切に望むものであります。
○証人(瀧野好曉君) 大橋氏は私が警察部長から特別建設部の総務課長に転任いたしましたときには、戰災復興院の計画局長だつたと思つております。
その後特別建設部ができましてそこの総務課勤務になり、局に昇格いたしまして、繁務部総務課勤務、同じくそこにおきまして二十二年特別調達庁設置と共に、総理府事務官のまま経理局経理課長になりまして、後に経理局の機構改革のために経理第二課長になつております。
それから暫らくたちまして戦災復興院の次長になられましたとき、私は特別建設局の事務官をやつておりました関係、これだけでございます。それ以前の関係はございません。
私が先ほど申上げたように、第一回の契約は二十一年の十二月九日、このときは戦災復興院の特別建設局の業務部長が契約をしておるのです。そしてそのときには金額も二十五万フイートで四千万円ということになつておる。それも業務部長の所で決裁になつて、上の特別建設局長の所までは来ていないのです。
(拍手、笑声) 先刻鈴木義男君は、大橋君がこの発注当時において、特別建設局の何かの重要な地位にあつて、大橋君がその発注についての関係があるがごとき言を申したのでありますが、当時におきましては、大橋君は計画局長でありまして、まつたく関係がないのであります。しかも、その過拂いの問題については、まつたく関係がない。特別調達庁におきまして支拂うべきものを怠つておつた。